発心の道場 第一番~第二十三番

発心とは求道心を起こし、真実の知恵を得ようとする心、菩提心を起こすことである。人が本来具有する菩提心に目覚め、「南無大師遍照金剛」と唱えながら、お大師様に導かれ、修行する。いわゆる「同行二人」を確信し、洗心、罪障消滅、所願成就を祈念しながら遍路行の第一歩をふみだすのである。

   

 
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修行の道場 第二十四番~第三十九番

修業とは、仏道を身に着け、善行を積む、実践行である。心身をしっかりと鍛錬しながら、金剛杖に象徴されるお大師様と共に歩み続け、大師信仰をより堅固にしていく道場である。道中での修業は人の心の有難さをすることができ、感謝の心と心の安らぎを得て、心身の病疾を除くことができる。かく、発心、修行の遍路行を実践することによって、次の菩提の道場へと結びづくのである。

 
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菩提の道場 第四十番~第六十五番

菩提とは無上の正覚、仏の知恵を備え、悟りを得ることである。発心し、修行して「同行二人」を実践して心身を鍛錬してきた。身体は遍路行になじみ、とらわれの心、「自我」が次第に浄化され、和、満たされていく。行者の心が仏の心として、次第に目覚めてきた。菩提行を実践しながら自らの菩提心を確認する道場である。

 
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涅槃の道場 第六十六番~第八十八番

涅槃とは生命の灯が消えたといいう意味で、仏典では釈尊の入滅をいう。燃え盛る煩悩の火を滅尽して、悟りの知恵すなわち菩提を完成した境地をいう。遍路では、お大師様と一緒になり、解脱の境地に到着することである。発心し、「同行二人」を実践し、仏心に目覚めながらの遍路行も終わりに近づく。「南無大師遍照金剛」と唱え歩み続けるうちに、現実の苦悩を解決し、心身は解脱し、相互礼拝、報恩謝徳の心に満たされる。迷いから解脱、再生へ。「お大師様、ありがとうございました」「ありがたかった」という結願の道場である。